一般社団法人花巻観光協会[岩手県花巻市] イーハトーブの一番星をめぐる花巻の旅

宮沢賢治を追いかけて
明治29年、現在の岩手県花巻市生まれ。
詩人、童話作家、教師、科学者、宗教家など多彩な顔を持つ一方、
農民の生活向上を目指して羅須地人協会を設立。
農業技術指導、レコードコンサートの開催などの活動を行うが、
理想かなわぬまま37歳の若さで永眠。
生前は、詩集『春と修羅』、童話集『注文の多い料理店』(1924)を残す。
死後、徐々に多くの人に読まれるようになり、
現在は多くのファンに支持されています。

(写真資料:林風舎)

理想を追い求めた37年の生涯

理想を追い求めた37年の生涯

 詩人であり童話作家としても知られ、地質の調査に取り組み、教師や農業指導者として活動した宮沢賢治。ひとことではとても言い表せないその多面的な生涯は、故郷の花巻で見聞きし体験したものごとを礎に花開いたのでした。
 1896年(明治29)8月、花巻市の商家に生まれた賢治は、小学生のころより鉱物や植物の採集に興味を持ち、まわりから「石っこ賢さん」と呼ばれるほど熱中します。そしてその後に得た膨大な知識と培われた高い感受性、なにより豊かな想像力が「銀河鉄道の夜」をはじめさまざまな作品に結実したのは、いうまでもありません。

ポランの広場(南斜・日時計花壇)

 1921年(大正10)には農学校教諭として教壇に立ち、退職して設立した羅須地人協会では勉強会やレコード鑑賞会を開催し、また農家をまわって肥料の設計を行うなど、農家の生活を豊かにするために働きました。しかし無理がたたり病に倒れ、1933年(昭和8)9月、永眠します。
 37歳という短い生涯を駆け抜けた賢治。しかしゆかりの風景は、今も花巻のあちらこらちに残っています。

ゆかりの場所と山河に息づく物語

 賢治の愛した胡四王山山頂付近に建つ「宮沢賢治記念館」は、地域や信仰、科学、農村などといったキーワードで賢治の生涯を紹介。愛用のチェロや自筆原稿など、ここでしか見られない展示も多く、彼の足跡をたどるには欠かせない施設です。そばには「宮沢賢治イーハトーブ館」や「宮沢賢治童話村」もあります。
 賢治が自炊しながら農業指導を行った「羅須地人協会」は、市内桜町にありました。今その場所には「雨ニモマケズ」詩碑が建ち、9月21日の命日には「賢治祭」が行われます。
協会の建物は、現在の県立花巻農業高等学校の敷地内に移築されています。

 農学校教諭時代に生徒を連れて訪れた「イギリス海岸」は北上川河畔にあり、賢治童話の原風景や作品をイメージしたモニュメントは市内のいたるところで見ることができます。
 ―これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。(童話集『注文の多い料理店』序文より)
 川に森、風の音。ささやかな自然のなかにも、賢治の物語世界は息づいています。

ゆかりの場所と山河に息づく物語 ゆかりの場所と山河に息づく物語

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